アダルトチルドレンのためのアンダンテ

歩いていこう。アダルトチルドレンやADHD。大人になって私がいろいろ知ったこと。

これが家族

父と母が会話して笑っている姿は見たことがない。

いつからかはわからないがとにかく二人が仲良いと思えるシーンは記憶にはない。小学一年生のころ、離婚している母の妹と父が仲よさそうに話しているのを見て、両親が離婚してこの二人が一緒に暮らした方が何かがうまくいくかもしれないと、純粋に想ったことを覚えている。

 

その対立は、けっして本音を言えるからこそのぶつかり合いではなく、冷たく、よそよそしく、お互いを拒否しあう姿だった。それでも父親が単身赴任で家を離れていた5年間は落ち着いていたが、私が確か中学生に入ってから単身赴任が終わり、関係は悪化する一方だった。中3だったか高1だったか、父親が「もう出ていくぞ」と怒鳴るレベルの喧嘩をしていたのは自分の誕生日の日だった。父親は普段は母の発言を適当に流し、時には返事もしなかったが、時々こうして怒りを面に出した。

もちろんひとり親家庭はさびしいことやつらいことがたくさんあると思うが、離婚しそうなほど冷え切った夫婦の下で育つのはまた違った辛さがある。「あんたたち(=私と兄)がいるから離婚もできないわよ」母はよく私に言った。

 

私はことあるごとに母から父の悪口を聞かされていた。そのくせ、チビで短足でのんきなところは父親にそっくりだといわれていた。小さいころは父は私の中でも子供に無関心で悪い父親だった。ただ、成長するにつれてだんだん、そうでもないと気付いていった。母が風呂に入っているときに、私は進路を父に相談した。脱衣所でそれを聞いてた母親は、「パパはあんたのことも家計のこともなにもわかってないんだから」と私にひどく当たった。

父は母への文句を子供に吐くことは一切なく、しかし母から子供を守ろうとすることも一切しなかった。テレビや映画を見ることで、たぶんうまく自分を守っていたのだろう。

外出先でも距離をとって歩く二人。ちょうどよく真ん中らへんを歩くようにしていた。

 

兄は中学生になると反抗期になり母の言葉を一切無視するようになった。たぶん、普通の反抗期をする少年が発するような言葉を発してたとは思うが、母はそれを抑圧するように兄を怒鳴りつけた。兄が物を投げて部屋の仕切りに穴が開いた。

私は兄が反抗期のころ、兄がいかにひどいかを兄に叩き込まれ、母に同調し、兄を一緒になって攻めていた。

母からよく兄と比べられていた私は、たぶん兄より自分の方が「優秀」だと思われ始めるようになったことに優越感を覚えていた。

日々、母の口からでてくるのは父の愚痴か兄の愚痴だった。兄の態度を母は

父親にそっくりだ」と非難した。例え同意できなくても、うんうんって聞いてるしかなかった。否定したら母は私に怒りをぶつけた。

 

家庭に居場所を失くした兄は私とも口を利かなくなり、大学生になってすぐに家を出て行った。

兄が一人暮らししてしばらくしても、母親は 時々兄に電話し、あれが駄目だこれも駄目だと兄を怒鳴りつけた。

ある日兄から母に一通の長いメールが届いた。

それまでの兄の心情が綴られていた。そしてそれでもメールの最後には、いままで育ていろいろな経験をさせてくれたことに感謝の言葉があった。

ただ、母はそのメールを「兄からの逆恨み」と呼び、日々私に愚痴をこぼした。兄のメールを読んで、自分もその時、母親に対して同じことを想っていることに気付いた。